だがし紹介
2020.01.28
橘本神社
橘本神社
宮 司 前山 和範
鎮座地 〒649-0144 海南市下津町橘本779番地
TEL 073-494-0083
祭 神 田道間守神 熊野坐大神
由 来
当神社は、柑橘や菓子業の祖として、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を奉祀する由緒ある神社である。
創立年代は不明であるが、白河法皇熊野行幸の時、この社で通夜された史実があり、当時(今から850年前)既に壮厳な神社であり、熊野九十九王子の中の古社の一つである。
また「記紀」によれば、第十一代垂仁天皇の御代、田道間守は勅命により、不老不死の霊菓を求めて海外に渡り、艱難辛苦十余年、ついに橘を得て帰り、既に崩御されていた垂仁帝の陵に捧げて哭死されたとあり、戦前は小学校の教科書にも掲載され、唱和されている。
その橘を最初に移植したと伝えられる「六本樹の丘」(みかん発祥の地)の遺跡も神社近くにある。
その後、橘は改良されて、欧米までにも輸出される日本の銘果となったのである。
「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」と伝えられるように、全国菓子業者の祖神として崇敬が篤く、毎年、4月3日には、全国銘菓奉献祭(菓子祭)という県下唯一の大祭を行って有名であり、当日は全国の菓子業者150社以上から銘菓の奉献がある。
又10月10日は例大祭、みかん祭を盛大に行い、県内、県外の柑橘業者・果物業者や氏子の人々で大いに賑わい、渡御、獅子舞、投餅などを行う。
橘の歴史は古い。
『万葉集』には、「橘は実さえ花さえその葉さえ枝に霜降れど弥常葉の樹」の一句がある。
又元明天皇は「橘は菓子の長上にして人の好む所なり、枝は霜雪を凌ぎて繁茂し、葉は寒暑を経て凋まず、珠玉と共に光を競い金銀と交え愈々美なり」となされた。
又、桓武天皇の京都遷都の際、橘は「左近の桜」と相対し、紫宸殿の階前に「右近の橘」として植えられ文化の象徴とされた。
昭和12年文化勲章の制定に当りその意匠に橘が採用されたのは、橘こそ文化の象徴であるとの聖旨によるものときく。
「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」と古歌に詠まれた橘は、故人を想うにつけ、先進を慕うにつけ、またとないよすがとなる。